厨房の二人

第四章

 田中が手伝い始めてから、店が少し活気づいた。

 田中は洗い物と掃除を担当した。料理はしない。接客も最初はしなかったが、林さんや峰岸さんが話しかけてくるうちに、気づけば田中も応答するようになっていた。

 文男は厨房で料理をしながら、外のやり取りを聞いていた。

 田中は言葉少なかったが、嘘をつかなかった。林さんが「東京の飯より旨いか」と聞くと、「旨い」とはっきり言った。岸本さんが「ここに来てどれくらいになるんですか」と聞くと、「四か月です。これからどうするか、まだわからない」と正直に言った。

 そういう正直さが、常連たちに好かれた。

 ある日の夕方、客が帰って田中と二人になったとき、文男は聞いた。

「東京でどんな仕事をしていたんですか」

「IT系の会社で、営業をしていました」

「体が壊れそうになったというのは」

「眠れなくなった。毎日三時間しか眠れない状態が一年以上続いた。医者に行ったら、すぐに休めと言われた。休む勇気が出なかったが、最終的には体が先に折れた。一度、電車のホームで意識を失った。それで辞めると決めた」

 文男はそれ以上聞かなかった。田中が言えるだけ言ったと感じたからだ。

「ここに来て、眠れるようになりましたか」と文男は聞いた。

「最初はまだ眠れなかった。でも今は眠れます。夜に、虫の声が聞こえる。東京には虫の声がなかった。虫の声を聞きながら眠ると、深く眠れる気がする」

「田舎の夜は静かすぎて眠れないという人もいるが」

「俺には静かなのが良かった。静かすぎることなんてない」

 その夜、文男は自宅で麻子に田中のことを話した。

 麻子はベッドに横になりながら聞いた。病気になってから、長い会話は難しくなったが、短い話なら聞けた。

「いい人みたいね」と麻子は言った。

「そうだな。人のいい人だよ。疲れた人だけど」

「あなたも、もっと楽にしてもらえばよかったのに。一人で三年間、頑張りすぎたよ」

「お前がいてくれたから三年続けられたんだ」

「私は寝てるだけじゃない」

「いてくれるだけでいい」

 麻子は少し笑った。三年前より笑顔が増えていた。少しずつだが、確かに回復していた。

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